コーヒールンバの謎





 その昔、こんなCMソングがあった。
 井上陽水が作って、荻野目洋子がリメイクで歌った「コーヒールンバ」。
 元歌は昭和30年代前半の作品らしいのだが、覚えている人はいるだろうか。
 荻野目洋子が歌ったその当時、やけにCMソングがヒットしており、鉄骨飲料の歌やら ♪24時間戦えま〜すか ビジネスマ〜ン♪ のリゲインのCMソングやらがヒットチャートに入っていた。
 このコーヒールンバもご多分にもれずヒットしたわけであるが、最近中東関係の本を読んでいて、この歌詞に疑問を感じたわけである。
 歌詞を覚えている人はいるだろうか。私もさっきネットで調べるまで、出だししか覚えていなかったのだが、これから話をする上で必要となってくるので、記しておくことにする。なんとなく覚えている人もこれで思い出せることであろう。こんな歌詞である。

昔アラブの 偉いお坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
琥珀色した 飲み物を
教えて あげました

やがて 心うきうき
とっても不思議 このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした


という歌詞なのであるが、これでメロディーまで思い出した人は私と同年代だ。
 まあこれは一番の歌詞だけになるのだが、取り合えず歌の概要としては、恋を忘れた哀れな男に、アラブの偉いお坊さんがコーヒー・モカマタリという飲み物を教えてやったところ、男はたちまち若い娘に恋をして、めでたしめでたしという話であるのだが。
 ちょっと待て。
 まずはじめの疑問。アラブに坊さんがいるのか? 
 みなさん、アラブというと宗教はなにを思い浮かべるだろうか。その前にアラブってどこじゃいな。ということで調べてみると、アラブというのは、第二次世界大戦後にできた国も含めて、アラビア語を国語とする国の集合体をさすらしい。アラブ=中東とうと捕らえがちだが、中東はだいたいインドから西、ギリシャ、イタリアから東の地方を指す。この間にある国の中で、国語がギリシャ語のキプロス、ペルシャ語のイラン、トルコ語のトルコなどは除外となる。
 ではそれらをのぞいたらどこの国があるのかというと、イラク、クウェート、サウジアラビア、ヨルダンなど、今まさにごたごたしてる国がズラリである。
 それらの国の名前を聞いて、思い浮かぶ宗教はなんであろうか。 おそらくイスラム教ではないだろうか。私もそうである。なんせ中東のほとんどの国、それこそユダヤ教を信仰しているイスラエル以外は、全てイスラム教を信じているのだ。
 ではこのイスラム教を信じているアラブ諸国に、坊主はいたのか。そもそもそこの国々は、いつからイスラム教なのか。
 イスラム教の成立は西暦610年。預言者ムハンマドが確立した。聖典はムハンマドが受けた神の啓示を書き記した「コーラン」である。というのは、おそらく皆さんも学校の歴史の時間に習ったことだろう。
 しかしでは、そのイスラム教が成立する610年より昔は、一体なにを信仰していたのか。知っていいる人はいるだろうか。
 実はそれまではそれらの国々は全てキリスト教を信仰していたのである。キリスト教の前はユダヤ教や、原始宗教になる。
 つまりアラブ地域に仏教もしくはヒンズー教が入ってきた形跡がないのだ。
 そんなことを言ったって、イスラム教だって僧侶という言い方の職業があるのではないか。私もそう思って、調べてみたのだが、学者とか審判者とか、司祭という言い方の職業はあったのだが、僧侶という名称の職業は、イスラム教には存在しなかった。
 つまりアラブにお坊さんはいないのだ。
 しかしここでアラブにお坊さんはいませんでしたということになっては、話が続かないので、100歩譲って何らかの形で、そうだな、宣教にでも来ていたということにして話を進める。
 宗教的に「お坊さん」と言うからには、さっきも言った通りその「偉いお坊さん」なる人物は、仏教、もしくはヒンズー教を信仰していないとおかしい。ヒンズー教と仏教はねっこが同じであるから、ここは先に成立した仏教のお話を主体にしていくことにする。
 では仏教では恋をすることが、いいことであるということにはなっているのか。
 恋を忘れた男を哀れと思って、コーヒーを教えたのだから、当然このお坊さんは恋を推奨している。が、ほんとにそれは教え的にいい物なのか。
 私が大学生であった頃、仏教学を習ったことがある。別に自らすすんで受講したわけではなく、それが必修教科だったのだ。毎週毎週講師の先生が書いた本をテキストに、つまらない話を聞いていたわけであるが、その授業の中でこんな話を聞いたことがある。釈迦の言葉であるのだが、「
女は肥えだめである」というのがあった。
 私は女性蔑視をするつもりはない。この言葉を言ったのは、紛れもなくシャカ本人である。私自身の言葉ではないので、私に怒りをぶつけないように。女性のみなさん。
 とにもかくにも、仏教の開祖であるお釈迦様は、弟子たちに肥えだめである女なんかにかまけないように。そんな見苦しいことはするなと教えたわけである。
 ということは、仏教を信仰して、なおかつ出家しているこの「アラブの偉いお坊さん」にとっても、それはおんなじだったわけだ。
 だとしたら、そのお坊さんが恋を忘れた男に、哀れと思うこと自体おかしいのではないのか。そのうえ恋を思い出すようにコーヒーを教えるなどとは、お釈迦様も泣いているのではないだろうか。
 肥えだめと神聖なる男を結び合わせちまったんである。
 この坊さん、死んでからきっと地獄に落ちてしまったに違いない。
 恋を忘れたことを喜んでやりこそすれ、可哀想と思うなんて、この坊さんはおそらく生臭坊主だったのだろう。
 そして最後に残った疑問。アラブにコーヒーはあるのか。
 この疑問を解決するために、またまたネットで調べてみた。すると、コーヒーの発祥の地こそアラブだったのだ。おお、これは合ってるのかも!? 
 わたしが文献を読み進めて行くと、とんでもないことが分かった。
 とりあえずコーヒーの歴史から説明して行こう。コーヒーが人々に飲まれだしたのは、1258年からである。イスラム教の祈祷師、シーク・オマルという人が、人々に飲用を薦めたのが始まりなのだそうだ。
 ではこのおっさん、どうやってコーヒーを見つけたのか。
 コーヒー自体の効能などについて、はじめて記述されたのは900年、アラブの医者がその記録の中で、医薬品として用いたということが書いてあ多のだそうだが、一般に広く飲用されるようになったのは1258年以降になるので、ここはシーク・オマルの顔を立てようと思う。
 このシーク・オマルくんは、モカの出身で、祈祷師として大変な人気を誇っていた。そんな折、モカ王の娘が病気になった。王はさっそくシーク・オマルくんを呼び寄せ、祈祷をしてもらったところ、たちまち娘の病気は癒えた。のだが、シーク・オマルくんはこの王女に恋をしてしまった。それを王にとがめられ、罰として同国のオウザブと言うところに配流されてしまう。いわゆる島流しにあってしまったわけである。
 恋をしただけでそんなことになるのかと思うが、もしかしたら寝床でも暴かれたのかもしれない。それなら島流しも納得できる。
 悲しみのうちに島流しにあったシーク・オマルくんは、流されたその先のオウザブの山中で、不思議な羽毛の小鳥が小枝に止まり、陽気にさえずっているのを目にする。その小鳥のそばに行くと、美しい花と実があった。空腹であったシーク・オマルくんはその実を洞窟に持ち帰り、スープにして飲んでみたところ元気が出た…ような気がした。その実こそがコーヒーの実であった、という話があるのだ。
 これとコーヒールンバの歌詞を比べてみてほしい。コーヒールンバの歌詞では、恋を忘れたかわいそうな青年に、存在すること自体がちょっと疑問視される「アラブの偉いお坊さん」なる人物が恋を思い出すようにコーヒーを薦めている。アラブに坊さんはいないが、祈祷師を強引に坊さんにしてしまえば、この伝承が元になってコーヒールンバの歌ができたと考えられるのではなかろうか。
 しかもこのシーク・オマルくんの出身地はモカ。歌詞に出てくるモカマタリの原産地である。
 そのうえシーク・オマルくんは恋をして島流しにあっているではないか。
 たちまち男は若い娘に恋をした♪ 
 恋をしたのは男は男であっても、シーク・オマル本人だったのだ。
 これらのことを考え合わせると、なんともあの陽気なコーヒールンバが奥深い歌になるではないか。
 恋をしてとがめられた自分ではあるが、あの恋をするというきもちは素晴らしく、今も忘れることができない。人々にコーヒーの飲用を薦めるうち、ひとりの恋を忘れてしまった可哀想な青年に出会ったオマルくんは、コーヒーモカマタリを彼に薦め、それを飲んだ青年はたちまち恋をする心を取り戻し、若い娘に恋をした。そう、まるで若き日のオマルくんのように… 
 ああ、あの日恋をした王女は、どうしているのだろうか。 青年の姿に自分の恋をした日々を重ね合わせるオマルくん。とまあこんな想像ができてしまうわけである。なんて奥深いんだコーヒールンバ。
 実際のところアラブに坊主がいなくとも、坊主という言葉の選び方に間違いがあったとしても、坊主が恋を禁じられていたとしても、そんなことはもうどうでもよくなってしまうではないか。
 いい歌だな、コーヒールンバ。なんとなくちょっと解釈的に物悲しくなってしまったが。

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